昭和45年11月06日 朝の御理解



  御神訓 一、「神の恵を人知らず、親の心を子知らず。」

 言うなら、神様のお嘆きとも感じられます。神の恵を人知らず、親の心を子知らず。又、ある意味では、神様の大きな不満、神様の不平不足のようにも感じられるですね。神様にも、そのような大きな悩みがおありになる。自分達の上でも同じ事。親の心を子知らず、親が、これほど思うているのに、子供達は、どう考えておるのであろうかと。親の心に背くと言うか、そのような時に、親が子に対して思う事です。
 親の子を思う切なる情が、スムーズに子供に通わない時通らない時、そこに親が子に対する嘆きを感じます。それかと言うてそう私は親の思いと子の思いが、ぴったり合うといったような事は、そうめったに有るものではない。神様の恵みと言うか、お心と言うか、に、ぴったり合うという様な事はなかなかない。ですからここのところをやはり、眞の信心が分かりたいと言うことは、神様の思いが分かりたい神様の思いに添うていきたいと願いながら、そこを探し求める心というものがね。
 あれば、それで良いのじゃないだろうか。家の子供が言う事を聞かん。親の心に背いた事ばっかりする。けれどもその子供の心を、よくこれは親が一番よく知っているのでしょうけれども、家の子供はその親不孝しようとは思っていない。只そこに思いの食い違いが生じてくるだけであって、家の子供は親不孝しようとは思ってはいない事だけは、分かっていかなければならない。また子供もその願いと言うものがね、むしろ合い過ぎて随落するといった様な場合も人間親子の場合、ある様な事もある。
 それこそ子供は親から見れば、目の中に入れても痛くない程に可愛い。又子供が親に対して従順素直なところに、もう親は子供にどげな無理を言うても良い様に思うて、子供に、例えば、親が甘える様な事になったりする場合もある。とにかくやはりどんな場合でも、私共が、いわゆる信心になるという事。真心になると言う事。だから真心とは真心とはと、真心を追求する心が私共にあれば。
 大体有り難い事になるのじゃないだろうかと思う。私は今朝方お夢を頂いて、もう一人悲しゅうなってから、床の中で泣きよった。これは本当に。夢の中ではない。夢が覚めてから。もう終戦直後の事。私共が引き揚げて帰って、二、三年暮らしてからでしょうか。私の村に、ある家族があって、私共が、子供の時分から、まあ赤貧洗うがごとしと言うのは、この家の事であろうと思われる程しに。
 それはひどい生活をしておられましたですね。子供が沢山あってね。しかもその子供が、みんな出来が、あんまり良くない。頭もよくないが、皆もう嘘言いのですね。ちっとこす気のあるといった様な、もう嘘が名人ででね、親もやっぱりそうです。少しばかりの百姓をしておられて、お父さんは大工でした。子供が私とあんまり年配が変わらんのがおりましたから、よく遊びにも行ったりしましたが、もうそれは食べ物なんかでも、ひどかったですね。あの何ち言うですか、椎の実なら良いですけれども。
 いっちと言うのがあるでしょうが。いっち椎の実の太いドングリ、あのドングリは食べられませんけれども、いっちち言うのはね、例えばいっちが落ちる頃になりますとね。風が吹いて落ちる頃になりますと、とう米袋を持って、拾いに行きよりなさいました。だからとう米袋半分位拾うちから、家族中で。まあだ代用食なんて言う言葉のない時分ですよ。それがね言わば代用食。子供が多いから、こげんとなっとん食べさせにゃち言うような風でした。それでいてもう本当にまあ言うなら。
 村八分という訳でないけれども、村の一つの信用も、あんまりない家でした。そういう時に、丁度、ブラジルの移民のあれがありましてね、ブラジルにそこの家屋敷を払うて行かれました。その方達がですね。そこのお母さんですたい。もう良い年でしたが、終戦後に、初めて何十年振りで帰って来たお母さんだけ。あちらでもあんまり都合が良い事はなかったのでしょう。言うなら家族で帰って来るのでしょうけれども、お母さんが何十年振りに帰って来て、一番初めに、尋ねて来たのは、やっぱり椛目であった。
 それで、椛目の村中、二十何軒か、当時、有りましたでしょうが、タオルを一筋ずつ、お土産代りに配って、ずーっと挨拶に回られた。そうですね。やっぱ、三十年振り位じゃないでしょうか、帰って見えたのが。私の辺りもタオルを持ってから、挨拶にみえました。もう私の方が、その時には、言うならば、赤貧洗うがごとしと言うような終戦直後、引き揚げて帰っての、いわゆる、修業の真っ最中の時分でした。その時にね、私が、確か、ここの近所に親戚もないんですよね。
 その人の家は。どっか日田の山奥にご主人の里だと言う事を、子供心に聞いて覚えておりますが、やっぱり一番懐かしかったのは、やはり自分達の里であるところの椛目であった。椛目に尋ねてみえた時に「ほぅ久しぶりに帰って来なさったですね」と、口では言うても、心から喜んで、迎えると言うようなところは、どこにも無かったらしい。それは、お茶位汲んだ所もありましょう。
 家あたりも、ほんな素茶でも汲んで、あちらの模様でも、ちょっと聞かせて頂いた程度でしたけれども、まあ今夜は、私の方へ泊まって、ゆっくりしてと言う所が無かった。そん時に私が本当に私が北京時代のように、物に恵まれたり不自由してない時ならば、本当にこのお婆さんを、三晩は一週間でもね、泊めて、ゆっくり、内地の味を味おうてもらいたいなあと、私は切に思うた事があるんです。
 それは終戦直後のお婆さんが帰ってみえた時に。ところが、村におられた時分が、今、申します様なですから、村の同情とか、そいうものが全然無かったんですね。それは何かこう帰ってみえても、あんまり親切にしよると、かえって迷惑がかかると言うごたる風な雰囲気の中に、言うなら、椛目の村に帰ってみえたんです。それがもう私は可愛そうで可愛そうで、人が良いとか悪いとか、そんなもんな問題じゃなくてね。
 もうそんな思いを切にした事があるのですよ。それが今朝の夢の中にですね、現在の合楽でこうしておかげ頂いとる中に、そのお婆さんがブラジルから何十年振りに帰って来たと言う。それで私はまあ応接間に通してからね、もうよかったら一時ばっかり家で逗留して、そしていろいろ用をしなさったらどうですかと言うて。もうそれこそ涙を流して、そのお婆さんが喜ばれるところで目が覚めた。はぁ本当にこれが何十年前だったら、どんなにかこのお婆さん喜ばれただろうかと、私は思うてね。
 その何十年前の事を思い出してから、悲しゅうなった。私は、何がそんなに悲しゅうなったかと言うと。神様の思いと言うか、神様の願いと言うか、そういうものに、夢の中でピッタリしたものがあったからだと思います。それは本当に悲しい事が起こって、悲しいと言うのではなくてです。悲しい迄に有り難い。そういうものなんです。いわゆる、すがすがしい悲しさなんです。神様の目からご覧になれば、もうそれこそ、屑の子であれば、屑の子である程、可愛いいのが神様のお心である。
 難儀をしておれば難儀をしておる子供程、可愛いいのが親の心であるように。性格的に恵まれてない、言うならば、そういう人の上にも、神様のお目からご覧になれば、一視同仁なのである。以前が以前だったからと。何十年振りに帰って来たのに。そんなら、芯から心よくする者がないなんて事を、こんなに例えば、本人も寂しい事はなかろうが、神様の目からご覧になっても、こんなに悲しい思いをなさる事はなかろう。
 どうであったにしろ、やはり自分の古里であるところに、何十年振りで帰って来た。勿論、身内の者が一軒も無いから、まぁ村中に、お土産のしるしに手土産の一つずつでも配って、本当に何かそこに、ゆっくり憩えれる様な、何十年振りの懐かしい話でもしたいと言うような思いは十分にあろうけれども。それを受け入れてくれる家庭、家族、そういう家が無かったという事。
 それはまぁ、自業自得だと言えば、それまで。そういう様な場合ですね。私共が、心から、言うならば、神心、私が今日、夢の中で感じた様にです。ような心を、私がその人の上に使わせて頂ける。それが夢の中で使わせて頂いておって。それが本当の事であったら、どんなに、何十年前に、私が思うた思いが叶うたような中にです。私は、何とも言い知れぬ、言うなら悲しさであった。
 夢であったという事が、はかなかったと言うことと、夢の中で、そのように私は思えて実際出来ておったと言う。それはもう神様のお喜びのような感じがする。私達が日常生活させて頂く上には、嫌な事も沢山ある。言わば、嫌な人とも沢山つき合わなければならない。私は、そういう様な時にですね。私は、神様の心が分かっておったら、神の恵みを恵みとして感じとれておれたら、私はこうやって、なるほどおかげを頂いておる。
 この様にあふれる様なお恵みを受けておる事を、お恵みと感じさせて頂いておればです。そのような場合に、その人が、心から安らいだり、喜んだりする事の出来れる事が出来るという事。神様の、お恵みをお恵みとして悟らせてもらい。その御恩恵お恵みに対して、神恩報謝の生活が出来る。そこに喜びの生活がある。その喜びの生活の中から、頂けておるところの心。人が相手にしないような人にも、相手になってあげれるる神心。
 又は親心。そういう様な心をです。私は私共に神様は求めておいでになるのではなかろうか。世の中の難儀な氏子とこうおっしゃる。その難儀な氏子に、そのような心を使うてやれる親切。親が子を思う切なる心とある。親切とはその親切がです恵まれておる私と言う。その神恩報謝の心と言うものがです。やはりこれはあふれる程に頂けておらんと、神様のお喜びにピッタリする様な、次の行動にはなってこないのではないかとこう思う。昨日お髭を当たってもらいながら、そのまま休んで又夢を見よった。
 その夢が覚めたから、そのまま起きて参りましたら、秋永先生がみえとりますと言う。あるご婦人の方をお導きしてみえておった訳です。それで応接間に通してございましたから、私も参りましてから何にもまぁ、お互いに私が大坪ですと。私は何々ですとお互い挨拶を交して直ぐ、私が私は今こんなお夢を頂きよったと言うて、そのお夢の話をしたんです。秋永先生がその方と 顔を見合わせてからまぁ思われたんでしょう。
 その夢の中に現れた婦人というのは、私の事ではなかろうかと思われたような様子でした。と言うのがね。私がそのある婦人をもうそれこそ、踏んだり蹴ったりしよる。もう私はあんなことを、自分でしやきらんけれど、顔でんなんでん跳び上がってから、パーンと足で蹴りよるとですもん。おかしな夢でしたあげん跳び上がりもきらんし、何かあの何か、沖縄辺りであるでしょう、こう蹴ってからああいう風でですね。
 もうそして、心の中にですね、これでこの人が腹かかにゃええが、腹かかにゃええが、逃げ出さにゃええが、逃げ出さにゃええがと思いながら、一生懸命、祈りながら、それこそ、悲しい思いで、叩いたり蹴ったりしよるとですもん。そしてもう叩いたり蹴ったりする位ではいかんもんじゃから、今、言うごと、もう跳び上がって、顔をパーンと蹴りよる様なお夢でした。そして、心の中にはですね。
 憎いから叩きよるのでもなからなければ、憎いから蹴りよるのでもない。心の中には、もう切にです、この人が腹かかにゃええが、ここで逃げ出さにゃええがと思うて、一生懸命、祈りながらそうしておる。神様が私共の私の姿は、そのまま神様の姿ではなかろうか。打ちちょうちゃくを受けておるのは、言わば、神様が、いよいよおかげを下さろうとする、人に対するお仕打ちではないだろうかと、私は思うた。
 叩きながらどうぞ、叩かなければ分からない。蹴らなければ悟らないそれで腹を立てたり、それによって分かるという事がです。神様のいうなら願いである。神の恵みを人知らずと言う。神の恵みそれは大恩恵と、天地の大恩恵を受けると言う。それこそ生きとし生ける者の上に、注がれる程しにあっておるお恵みは、別ながらです。本当におかげを下さろうとする。言うなら神徳を受けて、人間真実の幸せを受けてくれよと。
 神の願いがそこに掛けられるほどしの人の場合です。そういう踏んだり蹴ったり、いわゆる泣き面に蜂といった様な事も、又、お恵みであると言うこと。二代金光様、四神様の御教の中にございます。泣いて願う氏子はあるとおっしゃる。どうぞどうぞ、お願いしますと言うて、泣いて縋り願う氏子はあるけれども。泣いて、その事によって分からせて頂いたと、お礼を言う氏子が、ごく少ないと言うておられます。
 泣いて願う氏子はあるけれども、泣いてその事をもってです。それこそ感泣しながら、叩かれれば痛うございます、蹴られればやっぱり辛いけれども。けれどもそこにです、神の恵を分からせてもろうた。親の思いが分からせてもろうたと。泣いてお礼を言う氏子がおらんと。そういう中にです。神の心を心として、神様のお恵みを、本当にこれをお恵みとして、受けていけれるおかげを頂いたら。
 そこから、神様の心とピッタリ合うところのおかげ。神様も、言うならば、お喜び下さる満足して下さる喜び、そこに私共も、又、満足出来れるおかげがある事を思います。神様の恵みの中にはその様な言うなら、烈しいお恵みの現れがあると同時に、私共の心が、いよいよ、信心いうなら真心信心言うなら親心。その親心がです誰彼の上にでも、いや世の中の爪弾きを受けるような人達の上にでも使える様な心を頂ける、私は人柄と言うか、おかげを受けてこそです。
 神の恵みを知り得た人だという事が、言えるのじゃなかろうかとこう思うのです。今朝のお夢の中から、又、昨日秋永先生が、導いてみえた方に対する時に、丁度、頂いておったお夢の事柄から、今日の御神訓を頂きました。神の恵を人知らず、親の心を子知らず。親の嘆きを実感としてです。私共が、いわゆる神様のお嘆きを、そこに見、聞く思いでです。その思いに添わせて頂こうという精進、それが私は信心だと思うですね。
   どうぞ。